宿題をやらないまま、大学生になった
二枚貝 @planetae_nelumbo
「不思議ちゃん」と呼ばれていたあの子が「発達障害」みたいな言葉に回収されていくとき、静かに解けていく魔法
https://twitter.com/plantae_nelumbo/status/1389593060162478080?s=21
なるほどな、と思いました。
幼少期からよく、「ぼーっとしてるね」「面白いね*1」と言われてきました。
そして18年間、「ルーズ」とか「いい加減」とか「だらしない」みたいな如何にもインターネットで喜ばれそうな言葉で片付けられてきたわけですが——片付けはできないのに———ここに来て急速にあれ、俺って……と疑いを持ちつつあります。面倒なので*2検査をしておらず、まあよくあるTwitter民と同等の発言に走っているという自覚はありながらも、それなりに困り感の多い人生を送ってきたこともまた事実なのです。
閑話休題、宿題と人生の話です。
小学校の頃
宿題忘れて教室に立たされてました〜〜はいのび太くん。
宿題って厄介ですよね、小学校という窮屈な場所は特に面倒で、夏休みでもないのに毎日退屈な課題が課せられます。例えば「ちいちゃんのかげおくり」の13行目から64行目を読んでこいだとか、計算ドリルで筆算の演習を50題やってこいだとか、Among Usのタスク程度の分量をいや〜〜面倒ッスw〜〜っつってサボってたら教員から大目玉を喰らいました。
先生がわざわざクラスの前で宿題をチェックする曜日があり、課題を提出した人から一人ずつ順に自席へと着席するのです。当然立ったままの私、問い詰める先生、いやいやそんな理由聞いたって宿題が出てくるわけじゃないんだしやめましょうよ……
優等生のSくんと私は後ろ姿が似ているとしばしば言われており、さてそいつが一度だけ宿題を忘れた日がありました。先生「えっ、あのSくんが……?!珍しいこともあるもんだねえ」ちゃっかり座る彼、当然の如く怒られる僕。これには法の下の平等も泡吹いて倒れていると思います。
そのうち教員も面倒になったのかクラスメイトの中に宿題チェック隊みたいな人員が置かれ、いやもうあほうですよね、「今日は宿題やったの?」とか先生のお気にポジの子が聞いてくるわけで、やるわけねえじゃんと意識を五大湖あたりにぶっ飛ばしながら「ん〜今やろうと思ってたんだ」などと応酬していました。*3
中学校の頃
ここで急速に真面目ポジに転身した私は課題を急速に提出し始め、学年一桁台の成績を堅持するようになります。小学校意味ねえじゃん
中3になり、私も悪の巣窟こと塾産業に魂を売る羽目になるのですが、いや〜ここでまた宿題とかいうのが毎日課されるわけですね、しかも受験のため、更には君達の人生のためとかいう不可思議な大義名分が付されるのでもう最悪です。
(自分には)多分デイリータスクになると負担が大きいようで、加えて組版も中身も最悪なテキストだったので当然放棄、というか課題ごとゴミ箱に廃棄していたらまた呼び出しくらって土日で課題を全消化させられるという鬼畜プレイに毎週の如く動員されることになりました。
なんとかゼミナールの自習室、過密を象徴するような狭さの部屋に生徒が鮨詰め状態でして、おまけに閉所で誰かが近所のローソンで調達してきたおでんなどを囲み始めるものですから環境は劣悪そのものでした。*4